自信過剰にみられるのはいやだけどアピールしたい

若い人(あぁ、この表現を使うと自分が年寄りになった気がする〜w)と接する事も多々あり、色々と聞いているととても物事を良く考えていたり輝くモノを持っていたりするのに、自分に自信を持っていなかったり自分を過小評価していることが多い。

うーん。まるで自分のことを言われているようで、何か書かなければ。

僕は、理由はうまく説明できないけど、あまり自信過剰なのはあんまり好きじゃない。知り合いから聞いた話で、

「俺できますよ」って言って入ってくる人はたいていつかえない

っていうのもなんとなくうなずける気がするし。
一方で、きちんと自分をアピールしなければいけない場面があることも十分分かっていて、そうしているつもり。ただ、もっと上手なアピールの仕方があるんじゃないかとは思うけれど。「自信過剰にはみられたくないけど、自分の持っているものはうまくアピールしたい」と思ってる。

それから、「自分では自分の良さに気づきにくい」っていうのも最近感じる。以前はかっこ悪いなぁと思って絶対やらなかったのに、最近は人と話すときに「この人は僕のどんなところを評価してくれているのかな」というのを直接聞くようにしている(もちろん人は選ぶが)。すると、結構自分では意外なことを聞けることが多い。もちろん、お世辞で言ってくれている場合も多々あるのである程度は差し引かないといけないとは思っているけれど。恋人に「僕のどこが好き?」と聞いているようで、すごく格好悪い。でも、いろんなことが分かる。

上の記事とその元の記事を読んでいるときに思ったのだが、最近ほめられた記憶がない。学生時代には、少しはあったような気がするが今はほとんどない。単にほめられるようなことをしていないというのもあるのかもしれないが。仕事はやってあたりまえ。その出来についてはあまり他の人の評価を聞く機会がない。分業されていて、他の人が僕の仕事をあまり知らないというのもあるのかな。とにかく最近褒められない。そういえば、自分も面と向かって誰かを褒めた記憶もあんまりない。最近よく見かけるようになった、「〜をつくってみた」っていうものの動機は、面白そうだから作ってみたっていうものの他に、褒められたい(俺ってこれくらいはできるぜ、どう?)っていうメッセージが込められているように思うし、僕もきっとそうだ。

以前、転職の準備をした際に職務経歴書を書いたのだが、これの下書きで「自分は今まで何をやってきたんだろう?」という問いに答えるために書き出したメモをみると、案外いろんなことをやってきたことに気づく。そして同時に自分のユニークさにも気づく。そうするとアピールもしやすくなる。また、自分の興味が移り変っているのもよく分かる。例えば、僕の技術的な興味だと、「"パソコン" -> linux -> サーバ管理 -> FreeBSD -> ネットワーク管理 -> PCクラスタ -> bash -> perl -> java -> webアプリケーション開発 -> MacOSX -> WebObjects -> Knoppix ときて、最近は Disk I/O」
ここに挙げたのは技術的な興味だけだけど、それでもいろいろ移り変っているし、それぞれで何をやったかは自分では明確に思い出せる。ちょっとは、自信がつきました。
頑張れ、自分。

音声認識を使ってプログラミング

ウィンドウズ・ビスタ音声認識を使って、Perlスクリプトを書いて保存するまでの実演。

ひさしぶりに爆笑した。

音声認識は、何かをさせる為に使うんじゃなくて、話していることをメモするのに使って、後でそれを手直ししていく方がいいんじゃないかと思った。

しかし、これは面白いなぁ。

イベントでもらうTシャツ

Tシャツは企業がユーザのことを個々の人間としてどう見ているかのメタファーと言うか、少なくとも見方を反映していると思う。シャツは重要であり、あなたの会社をはっきり表しているのだ。

思いっきり共感できたので、思わずとりあげたくなった。それを来て街に出ても恥ずかしくないようなTシャツだったら、いい宣伝になるのになぁ。

blog の効果

試しに全員に社内ブログでの日報記入を義務化してみたら、とんでもないことになりました。なにがとんでもないかというと、拾えるノウハウの豊富なことです

個人レベルで blog を作業ログとして使うことのメリットは日々実感してはいたものの、組織単位での効果は実際にはどうなのかよく分からなかったが、この記事を読んでいたらどうも社内でも十分メリットはあるみたいだ。この手のツールは、導入しただけで終わってしまうというところが超えなければいけない1つの壁で、この記事ではそこは利用を義務づけて乗り切ってるみたい。

確かに、同じ部屋で仕事をしていてもそれぞれの人が知っている情報はだいぶ違うなぁ。例えば、「今日、社内のどこどこで、新しく入る自動販売機の試飲会やるよ」とかは、結構知らない人も多い。いつもいるメンバーなら、昼食のときに話せばいいが、たまたまそこに居合わせなかったら、その情報は多分知らない。試飲会の情報くらいなら全然それでもいいんだけど、これが業務に関連した情報だったりすると、
「あれっ、知らなかったの?」
ってことになりかねない。というかよくある。別にその人が悪い訳でもないのに。
blog に全部を残していくのはなかなか難しいけれど、それが割とできてくるといろんなところで効果はありそうだなぁ。

テレビよりYouTube

YouTube に昔僕たちが見ていた頃の「みんなのうた」がアップされていて、懐かしいなぁーと思いつつも子供に見せてみたら、案外受けがいい。なるほど、時代が変わっても子供に受けるものは変わらないのか。

で、こんなことを数日続けたら、テレビよりも YouTube を見せろとせがまれるようになってしまった:-)
見ている映像がテレビでやっていたものだとしても、子供たちの興味を引きつけたのはテレビより YouTube なんだなぁ。

YouTube には別にテレビでやっていたものしかないわけではないけど、YouTube でテレビでやっていた映像を見ようとしたとき、テレビと YouTube は何が違うんだろう?

  • 見たいときに見れる
  • 見忘れたテレビを見れることがある
  • 録画用に特別な装置(ビデオ装置など)がいらない
  • 見れないこともある(アップロードされてない、削除された、人気すぎて重い)
  • 関連した映像を suggest してくれる

でも、子供からしたらまたちょっと違うんだろうな。

  • 僕が面白いものを選んでくれる(あんまり興味のないものは流れない)
  • いつでも(僕に見せてと頼めば、だいたい)見れる
  • 同じものを何度も見れる

だから、子供からしたら YouTube は、「ある程度自分でコントロールできて、自分にとって面白いものばかりを提供してくれるもの」なのかな。「見たいものを見たいときに見れる」っていうのが大きな差なのかなぁ。

ビジョン型?価値観型?

今日、職場で話していたのに関係した記事を見つけた。

キャリアや人生を、自分の望むようなものにしていくためには、大きな目標や明確なビジョンが必要だと思い込んではいないだろうか。実は、そうとも限らない。

僕は、どっちかというと「ビジョン型」のようだ。この記事を見て最後についているテストの質問が1つ思い浮かんだ。記事に書いてあるテストの1つめに似てるけど。

A 目的地を決めずにぶらぶら旅をするのが好き
B 目的地をはっきり決めて、それを回るのが好き

さぁ、あなたはどっち?